【動画】グラスワンダー「死亡」。アメリカで生まれた名馬の生涯は?

グラスワンダーとは、1995年生まれの元競走馬・種牡馬である。

 

「名馬マルゼンスキーの再来」「栗毛の怪物」などの異名があり、熱烈な競馬ファンも多い。

 

主な勝ち鞍は、次の通り。

「朝日杯3歳ステークス(GI)1997年」

「宝塚記念(GI)1999年」

「有馬記念(GI)1998年、1999年」

 

そんな、グラスワンダーが「死亡」とはどういうことか?

 

調査を行った。

グラスワンダーの生い立ち

父はSilver Hawk、母はAmeriflora、母父はDanzigという血統。

 

アメリカ生まれである。

 

ケンタッキー州レキシントンにあるサラブレッドの平地競走を開催する競馬場「キーンランド」にて、25万ドルで落札されて日本にやってきた。

 

外国産馬は当時、クラシックには出られなかった。

 

そのため、買われて来る馬は仕上がりが早い短距離血統が多かったのだが、この馬はやや長距離系の血が入っていた。

 

1996年の11月に日本に渡日したグラスワンダーはさっそく育成調教に入る。

 

バランスの良い体格にしなやかな動きが相まって、前評判は非常に高かったようである。

 

このとき、同じく調教されていて評判の良かった馬。それが後にダービーを制することとなったスペシャルウィークだったと言われている。

 

美浦の尾形厩舎に入厩したあとも評判は良く、主戦を務めた的場均騎手をもって「間違いなく一流になれる馬」と太鼓判を押されていた。

グラスワンダーのデビュー戦

1997年9月13日、中山競馬場の新馬戦でデビュー。

 

スタートが得意ではないことから、余裕をもってレースを運べる1800m戦が選ばれた。

単勝1.5倍の1番人気に推されたグラスワンダーは、スタートでやや立ち後れたものの、すぐに先団にとりつき2番手を追走。

的場が鞭を使うことなく直線で抜け出し、2着に3馬身差をつけ初勝利を挙げた。

グラスワンダーの戦績

グラスワンダーの戦績は以下の表のとおり。

開催日 レース名 開催場所 着順 騎手 コース・距離 タイム
1997年9月13日 3歳新馬 中山 1 的場均 芝1800 1:52.4
1997年10月12日 アイビーS 東京 1 的場均 芝1400 1:21.9
1997年11月8日 京成杯3歳S(GⅡ) 東京 1 的場均 芝1400 1:21.9
1997年12月7日 朝日杯3歳S(GⅠ) 中山 1 的場均 芝1600 1:33.6
1998年10月11日 毎日王冠(GⅡ) 東京 5 的場均 芝1800 1:46.4
1998年11月7日 アルゼンチン共和国杯(GⅡ) 東京 6 的場均 芝2500 2:33.5
1998年12月27日 有馬記念(GⅠ) 中山 1 的場均 芝2500 2:32.1
1999年5月15日 京王杯スプリングC(GⅡ) 東京 1 的場均 芝1400 1:20.5
1999年6月13日 安田記念(GⅠ) 東京 2 的場均 芝1600 1:33.3
1999年7月11日 宝塚記念(GⅠ) 阪神 1 的場均 芝2200 2:12.1
1999年10月10日 毎日王冠(GⅡ) 東京 1 的場均 芝1800 1:45.8
1999年12月26日 有馬記念(GⅠ) 中山 1 的場均 芝2500 2.37.2
2000年3月26日 日経賞(GⅡ) 中山 6 的場均 芝2500 2:36.3
2000年5月14日 京王杯スプリングC(GⅡ) 東京 9 的場均 芝1400 1:21.6
2000年6月25日 宝塚記念(GⅠ) 阪神 6 蛯名正義 芝2200 2:14.7

グラスワンダーの獲得賞金

グラスワンダーが生涯で稼いだ賞金も見てみよう。

 

グランプリ3連覇を達成したグラスワンダーの獲得賞金は6億9164万6000円

 

少ない!?と思いがちだが、残念な事に外国産馬のため、天皇賞やクラシックに出走することができなかった。

 

そのことが大きく関係していると言える。

 

グラスワンダーの名勝負

1999年の有馬記念では、ライバル「スペシャルウィーク」との激闘。

 

2頭の差はわずか4cm。

 

レース後の電光掲示板表示に、場内の全ての競馬ファンが固唾をのむ。

デッドヒートの末のゴール。グラスワンダーの的場は首をかしげながら引き揚げた。武豊はスペシャルウィークと「ウイニングラン」に入り、「ユタカ・コール」にこたえていた。スペシャルウィークは、このレースを最後に引退する。G13連勝で花道を飾った、と見えた。

しかし数分後、掲示板の一番上に点灯したのはグラスワンダーの馬番「7」だった。

写真判定による着差は約4センチ。隣を向いた武の頭は的場より約8センチ前に出ていた。名手といえど勘違いするのは無理もない。「競馬に勝って勝負に負けたってところですかね。悔しいねえ」。日ごろクールな武が珍しく感情をあらわにした。

一方の的場は、「いやもう、本当によく残ってくれた。最後は頑張ってくれ、頑張ってくれ、と祈るばかりで……」。大きなため息をついた。

馬体を絞りきれずに臨んだ2カ月半ぶりの実戦は、苦しいことだらけだった。圧勝した宝塚記念とは逆に、スペシャルウィークに後ろにつかれた。3コーナーで馬が自分でスパートをかける誤算もあった。それでも勝ってしまう。「改めて底力を見せた」と尾形調教師は感嘆した。

「来年は凱旋(がいせん)門賞に挑戦したい」と尾形調教師。今年エルコンドルパサーが2着に惜敗、スペシャルウィークが参戦を断念した世界最高峰のレースだ。引退した同い年の2頭に代わって、勝ちにゆく。

グラスワンダーの特徴

強い相手に圧倒的なパフォーマンスで圧勝してしまうこともあれば、格下の馬を相手にハナ差まで詰め寄られたり、時には惨敗してしまうこともある。
そんな山あり谷ありの不確実性のある競走生活。
競馬漫画家の「よしだみほ」はグラスワンダーの印象について、
「そんなに強い馬だとは思ってなかったんだよなぁ。大きいところを勝って、やっぱり強いのかなって思ったらケガでいなくなっちゃうし。強いのか弱いのか、最後までよくわかりませんでした」
と述べており、
「人間が引いたレールにはまってくれなかったんだよね、彼は。だからキャラもはっきりしなかったし、マンガにもなかなか描きにくかった」
とも言及している。

グラスワンダー「死亡」説

引退後は種牡馬として活躍を続けたグラスワンダー。

 

余生を穏やかに暮らしていると思われていたが、そんな中出てきた「死亡」説とは?

ライバルの「死亡」

1998年のダービー馬、スペシャルウィーク(牡23)が死亡したことがJRAの報道室によって発表された。

日高大洋牧場の代表・小野田宏氏によると、スペシャルウィークは23日(月)の放牧中に転倒し、左腰を強く打ったとのこと。その後は馬房内で経過観察を行っていたが、27日(金)に馬房内で転倒しているところをスタッフに発見され、午後4時40分頃に死亡が確認された。

同馬は1997年にデビューし、主戦の武豊騎手とのコンビで新馬戦を快勝すると、その後も同コンビでダービー、天皇賞春秋などG1を4勝。武豊騎手に初めてダービーの栄冠をもたらした馬としても有名である。

ラストランとなった1999年の有馬記念では、直線で先頭に出たグラスワンダーを差し切るべく強襲しゴールし、誰もがスペシャルウィークが勝ったと思われた。ゴール後は武豊騎手とともにコースを一周しウィニングランをするも、写真判定の末、僅かの差でグラスワンダーが勝っていたことが判明。負けていたにもかかわらずウイニングランを行うという珍事が起こり、現在でも幻のウィニングランとして末永く語り継がれている。

同期、そしてライバルである「スペシャルウィーク」の死亡記事が影響しているものと思われる。

ウマ娘での「死亡」

大人気の競馬ゲームアプリ『ウマ娘』。
当然ながら、その中にもグラスワンダーは出てきている。

ゲームの進捗がうまくいかなかった結果、「死亡」。チーン。
こうした声の影響もあるようだ。